| 「はなの記憶」について 秋雨の朝、ぼんやりと外をながめます。 庭のキンモクセイが、今年も咲き終わりました。 このあいだまでそこかしこに漂っていた甘い香りも、 もうすっかり消えてしまいました。 咲き落ちて、辺りを彩っていたその花々も 季節のからっ風に吹き飛ばされてしまいました。 キンモクセイにはちょっと申し訳無いのですが、 春まだ暖かい季節の頃、庭を散歩しているときなど、 「ああキンモクセイの花が咲くの楽しみだなあ、」と 思った事はあまりありません。 そして夏が終わり、朝夕少し冷たくなってきた頃、 「さていよいよキンモクセイの花が咲くなあ、」と 思った事もあまりありません。 庭に佇む彼は、無口で、ただ遠くの空を眺めている様な風貌です。 そんなある日の早朝、縁側からの風に吹かれて流れてきた ほんの微かなあまい香りにふと気付きます。 はじめは、気のせいかな、と思う様な香りです。 それでも流れてくるあまい香りをたどってゆくと、 ちいさな花を無数につけたキンモクセイが、誇らしげにどん、と在るのです。 あまい香りに気付いた日から、キンモクセイの存在感は絶大です。 いつでもどこにいても、あまい香りがしているのです。 咲き落ちるまでの数日間、あまいあまい香りのなかで暮らします。 思わず微笑んでしまう程の、あまいあまい香りが続いてゆきます。 ひとは、においという抽象的なモノを、過去の体験に基づいて その出来事などに結びつけて記憶してゆくのだそうです。 例えば、幼稚園に傘を持って迎えに来てくれたときの雨のにおい。 きのうの雨のにおいは、幼い頃の自分が嗅覚で感じた雨のにおいなのです。 ああ今年もキンモクセイの季節だったのだなあと、しみじみと思うのです。 そして何年か後、歳をかさねた自分が ある日どこかで、あまいあまい香りに気付くとき、 この庭のキンモクセイは、きっと、 嗅覚の記憶の中で、誇らしげにどん、と在るのです。 |
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(2003年11月) |