「土のストーリー」について


例えば、寂びた古いお寺や、苔むした古城の石垣を見る時、
思わず立ち止まってドキドキワクワクしてしまうのは何故かというと、
そこにまつわる中世の、または戦国時代の出来事を想像して
古寺古城が今日まで経てきたストーリーを感じるからでしょう。
モノにストーリーを感じる時、見る者をドキドキワクワクさせます。

しかし土には、ストーリーを感じません。
土という素材に感じるドキドキワクワクは、ちょっと違います。

うつわの土は、600万年前に花崗岩が風化分解して生成したものです。
10000分の1oという単位で、刻々と変化を遂げてきました。
そんなちっちゃいちっちゃい粒々が、ン百万年間という長い長い時間を、
どんな風に過ごしてきたのかなんて、簡単には想像出来ません。
ぽかんとしたむかしばなし程度で、ストーリーは現実味を帯びません。

土の、ぽかんとしたストーリーは、安易に手に取り易い素材、という
印象を与えます。確かに親しみ易い素材です。けれどもやがて、
こねこねと自分の作りたいカタチに変えてゆくうちに、
凝縮して詰まっていた時間が、10000分の1oのすき間から
じわりじわりと滲み出てくるのです。
この、凝縮されたン百万年という時間が、実は、土を触れば触る程、
じわりじわりと効いてくるのです。
これが、土という素材の、ドキドキワクワク感なのです。

土で作られたカタチは、どこから見ても、素材が土である事を主張します。
それは、滲み出てくる時間が、とても土のにおいがキツイからなのです。
そのにおいは例えば、美術館などで陶器の作品の前にしばらく立つと、
展示台の分厚いガラスをいとも簡単にすり抜けて、観るひとをじわりじわりと
ドキドキワクワクさせる一要素になるのです。

土には、凝縮された時間がいっぱいいっぱい詰まっています。


(2003年7月)

散文集の目次へ戻ります。