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| 2004/03/26/金 |
| 一体『火が燃える』という現象は、火と酸素と、どちらが主たる原因なのだろうか。一般的には酸素が『助燃性』という客体で表されているが、酸素がなければ『火』自体が存在できない。燃焼という形態の『酸化』である以上、酸素が存在しなければ火もまたありえない。ということは表立って目に見えるのは火であるが、意義的には酸素と火は同価ではないだろうか。この主客関係は、人間の感覚的に定義されたものであると私には思える。 同じように、性善説・性悪説や、歴史を動かす主体のとらえ方のうち個人主義か社会主義(政治形態ではないことに注意!)かなどはまったく同じモノ、区別出来得ないところを無理に半分に割ったもののように感じる。まぁ私のような考え方を折衷主義っていうんでしょうけど(笑)。例えば歴史を主導した人物の能力がその歴史を作ったのか、それともその背景である庶民の生活が導いたのかといわれれば、よくお分かりであろう。能力のある人間も、いきなり高い地位についているのではない。まったくコネクションのないところで主導できる立場にそもそもなれるわけではない。簡単な話、ヒトラーほどのカリスマをもった独裁者が密林の中に生まれていたら、第三帝国の野望を持ちえたかどうか。 今世界は『テロとの戦い』などといわれているが、これは環境問題と並んで人間の限界に対する挑戦だと思う。『憎しみの環を断ち切れるかどうか』。もちろんキーワードは『許す』と『人間愛』だ。テロと戦っている人々が主に『汝の敵を敵を愛せよ』『右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ』という教義を掲げているというのはある意味本当にこっけいだ。まずは許しがたいところを許していくことから始まるだろう。『暴力』『非道』に対する最大の『報復』は『愛情』であるはずだ。というかそれが人間を導いてきた『理想』であり、『神』であったはずだ。 今日、姉貴が娘を出産した。無垢な赤ん坊を見ていると、『どうして殺し合いをするのか』と全く原点の問いが自然に出てきた。 りおちゃん誕生本当におめでとう! …ちなみに私は名実ともにオヤジになったわけだが(汗 |