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2005/06/05/日
論理というヤツは、ついには水掛け論にしかならない場合もあるなぁと最近つくずく思います。
私ははっきり言って理屈っぽい男ですから、こんな私がこんなことを言うのは意外だという人が周囲には多いかもしれませんが(笑

先月、JRで痛ましい事故が起きました。原因は一応今のところは『会社の利益追求のために組織(人間構造)が空洞化していた』ということで、これはまぁ空洞化したのが『利益追求のため』だったかどうかはわからないとしても、『空洞化している』ということについてなら、働いている方の声からしても事実のようです。簡単に書けば『言いたいことが言えない職場』ってことです。

私は企業家(起業家)の書く書物が好きです。自信に満ちているし、戦略的でもあるからです。で実は別のJRの社長が書いた本を持ってます。かつて『国が金を失う』といわれた『国鉄』を改革した主導者です。

その方は改革の自伝でこう書いておられます。

投資に対するニーズがさまざまある中で、われわれが安全に対する投資を最優先してきたのは、安全こそが、鉄道会社が発展していくために欠かせない要素だからである。国鉄が分割民営化する時に、反対する人たちから一番強く言われたのは、『公共性を求められる国鉄だからこそ安全性が保たれているのであって、民間会社になれば、経済性を優先して、安全性が損なわれるに違いない』ということだった。しかしこれはまったく逆なのである。万が一事故を起こして、お客さまが死傷することにでもなれば、想像もできない大きなダメージ、損失が生ずる。従って、民間会社というのは、絶対に事故を起こさないように必至で努力するものなのである。
[生産性出版『なせばなる民営化! JR東日本』 松田昌士著P139より]

2002年の本です。3年後には『反対する人たち』の危惧が現実のものとなってしまいました。


私は『危惧する人の方が具眼であった』とは思いません。ただ言えるのは、自伝を書いた人は反対する人がたくさんいる ---つまり著者的には愚者が多いとわかっていたのに--- その愚者が経営者になることを考慮していなかったとは思います。平たく言えば『一見生産性がないと思われる安全性の追求こそが、実は経営的にももっとも大きな利益を生んでいる』ということに気がつかない人が鉄道会社の経営者になる可能性もあるということです。

生物が常に環境に対して自己を最適化した体を持っているわけではないように(進化の歴史的拘束)、民間会社が常に正しい選択をするとは言い切れないのではないでしょうか。でなければ民間会社で経営破たんする会社はゼロってことになっちゃいますから。そもそも反対に『公営の非営利組織なら自由な空気が流れて閉塞した空気は流れない』なんてこと、あるわけないじゃないですか(笑


だから私が言いたいことは組織批判とかそういうことではないです。私は先ほどの両論が両論とも正しいのではないか、つまり理屈で真実を語るのには限界もあると思うのです。だって今後もしJR西日本がうまく体質を変えていければ、自伝の著者の言っていたことが結論になるわけですし。『更なる大ダメージは回避した』ともいえますから。

理屈なんてものは、見るべき視点や考える時間的な尺度によって意味を二転三転できるものだと思います。

では理屈に意味はないのかと言えば、まったくの反対でして。だからこそ理屈はすばらしいと思うのです。




自己の現状を肯定してあげて、自己の存在に満足いく説明を与えてあげられるのであれば、屁理屈をこねる能力だって、立派な生きる力ではないでしょうか。あんまり行き過ぎれば『自己中』や『精神病質(サイコパス)』になっちゃうんでしょうが、周囲にあわせすぎることもやはり『うつ病』の原因ですから。



ああほら。

また水掛け論。
 
2005/06/15/水
パソコンのネットに関する不具合が続いて更新できませんでした。『この時期ダメだ』なんて書いててケーブルTV業者のせいにしてたのですが、業者のモデムに直結すると開通。
…私の家庭内LANが問題だった見たいですね(汗

昨日、今日と気分の落ち込み気味だった私は、気分転換に本屋に立ち読みに行きました。立ち読みの割りに開店前から入り口前で並んでましたけど(笑
んで何気なく雑誌の前に来るとF-14トムキャットの雄姿。『おお、久しぶりだなぁ』なんて手にとって見たらびっくり! 引退ですか!

F-14トムキャットって戦闘機は、日本では零戦なみに超メジャーな機体じゃないかなぁ。大体のアニメの戦闘機のモデルになってます。マクロスとかさ。特にフォッカー大佐の乗機なんて、第103戦闘飛行隊VF-103、ジョリー・ロジャースそのまんまだし。やっぱりあの垂直尾翼2枚っていう独特の形状が良かったんでしょうね。その後はたくさん採用される形式ですけど。

同じく垂直尾翼が2枚のF-15もあるわけですけど、こいつらの特徴として重いんです。で、結局スクランブル発進の能力が低いから、要撃戦闘機として使いにくい。ミサイルが一般化した世界で『重戦闘機』とか『駆逐戦闘機』とかはあんまり必要とされないわけですね。維持費もかかるし。つーわけで順次もう少し軽いF-16とかF/A-18とかに引き継がれて。VF-103もF/A-18に装備転換みたいだし。ジョリー・ロジャースだけには残して欲しかったなぁ…

映画にもよく出てます。かっこいいから。有名どころでは『トップガン』、マイナーだけどリアルに描いてる『ファイナルカウントダウン』とか。ともにジョリー・ロジャースじゃなかったかな?(トップガンの方に自信なし)。

話横流れですが、ファイナルカウントダウンは最近のマンガ、『ジパング』とよく似てます。ハワイ沖で演習中に原子力空母ニミッツが磁気嵐に飲み込まれ、気がつくと真珠湾攻撃直前にタイムスリップ。歴史に関与してはいけないと司令部は考えるが、偶然偵察の零戦21型と遭遇してしまう(ちなみにこの映画はトップガンより全然無名ですが、作品としてはしっかりしてます。この零戦21型は映画のために復元製作!。ここにF-14vs零戦という夢の対決実現)。結局自己防衛のために撃墜。

んで介入しちゃったからには真珠湾も救おうってことで攻撃部隊を発進させたところでまたも磁気嵐。結局直前で現代に帰還。ただ、そのときに戦闘飛行隊の飛行隊長が事故で1942年に取り残される。

現代に戻って真珠湾に帰島してみると、そこには空母ニミッツの造船スポンサーが。それがなんと置いてけぼりをくらった飛行隊長って落ちです。

ありゃ。変だな。やっぱりファイナルカウントダウンの方はジョリーロジャーすじゃないかも。VF-103って空母ジョージワシントンの艦載飛行隊じゃなかったかなぁ。


ああ、いやいや。『ジパング』の話。
こっちでは空母じゃなくて日本のイージス艦がタイムスリップする。ハワイ沖で磁気嵐なのは同じ。その後は太平洋戦争に関与しまくるのでだいぶ違いますけど。

この話、私はちょこっとしか読んでないですけど、なかなか良く出来てます。仮想戦記にありがちな『あまりにも上手く進展する大戦略』はまぁあれとして、太平洋戦争のナゾの部分にうまくイージス艦をかみ合わせてる。説明ないからマニアにしかわからないけど(笑

作中イージス艦『みらい』はワスプを撃沈して、キスカ・アッツ島の救出作戦を実施しますが、この両方ともが現在でもナゾの部分なんです。

ワスプは洋上で魚雷に当って沈没ってことになってますが、当時その海域で活動していた日本海軍の艦はナシ(定説では『伊-19の魚雷』だが、あまりにも遠い)。

キスカ撤収作戦の時には迎え撃ったアメリカ艦隊は木村提督とは違う『日本艦隊』にレーダー砲撃を加えて撤収。このときにも該当する日本艦隊ナシ(これも俗には『濃霧のため』。目で見えないところが見えるからレーダーだろうがぁ!とちょっとオドロキな説明)。



ええっと思わず軍事ヲタクっぷりを発揮してしまいましたが(汗)、消えゆくトムキャットとは反対にコンコルド計画は復活するみたいですね。音速を超える大型旅客機。これの開発が日本とフランスの共同で行われるようです。今日の新聞に載ってました。

着陸途中の旅客機の車輪が外れたりと、私の中ではなんだか航空機のニュースの多い休日でした。
 
2005/06/21/火
どの放送局だったのかはわからないんですが。夜のラジオを聴いてたんです。車で送ってもらう道すがら。実は飲みがあって、久しぶりにしこたま飲んでふらふらしてたんです。

ラジオドラマでした。

冴えない自分のことをだめだだめだと周囲も自分も言っているOLが、ふとしたことからある凄腕美容師さんに出会って大変身。次の日からみんなの見る目が急に変わって…

ってまぁ。よくある『変身モノ』ですね。

その中で、その主人公のOLが、今までまったく相手にしてくれなかった会社の上司や同僚が手のひらを返したとき、『ちょっと格好が変わっただけで態度を変える人はよろしくない!』みたいなセリフをはくんです。

んー。ってちょっと思いました。私は『美人に対して態度違う部族』の酋長みたいなもんですから(笑


教員だった時代、制服指導とかはあるわけですよ。AVとかに出てくる桃色系のモノだったら良いんですが、大概は教員と生徒の間に口論なりなんなりが出る、そりゃあ指導するほうもされる方もあんまり気分の良くないもんです。

彼らは言うわけです。

『人を外見で判断する人間が悪い。これは私の個性だ』



こういう意見が出てくると、いくら女子高生の大好きな私でも『ちょっとどうかなぁ』なんて思っちゃう。
以前にもこのサイトじゃないかもしれないんですが、書いたことがある話ですけど。

だってものすごく都合の良い話ですよね。
自分だって他人を外見でしか判断できないって言う限定合理性があるのに、他人には自分のことを全てわかってもらって当然だと思ってる。
自分は他人の価値が全てわかるのだろうか?

みんな本当は手探りの思い込みの中で関係を作っているんじゃないでしょうか。だから、自分が『誤解されるような格好』をしていれば、誤解されることは『当然』ではないかなと思うのです。

そういってた生徒のほとんども、進学の面接や就職活動となるととたんに収まる。『面接はあなたの個性をアピールするべきじゃないんですか?』などと意地の悪いツッコミの一つも入れたくなるってモンです。まま、つまり彼らは学校を学校と解って甘えてるってことになるんで、全然問題ないんですけどね。


ラジオの話の場合、周囲もそりゃほめられたモンじゃないでしょうけど、そうかといってシンデレラの家族のほど世間からかけ離れた悪い会社じゃないでしょう。ある意味普通の反応です。

それよか本人の方が悪い。自分がせっかく良いものを持っておきながら、磨こうとしなかった。原石のままで研磨した後の値段や評価を欲しがる。
自分を大切にしなかった主人公が悪い。

周囲が変わったのは当然ではないですか。主人公自身も『私は美人になった』と認めているんだから。元来が双方向性である人間関係で、片方が変化してもう片方が変化しないって方が不自然だと思います。




なんでこんなこと、私が力説するのか。

もちろん私も自分のことを大切にしていなかった人、だから。