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| 2006/03/05/日 |
| 風邪に悩まされてました^^;; やっと回復。それでも若干まだ違和感がありますね。心身に。 柳生十兵衛七番勝負。実は再放送っぽいですね。私は最初の放送時は知らなかったんですが。いやこの情報も怪しいもんですけどね。何しろ私はニュースは新聞で、基本テレビは見ないので(パソが新しくなるまで、オヤジ殿の部屋以外に私の家にはテレビはありませんでした)、その辺疎いです(汗 傑作ですね。このシリーズ。なんか原作読んでみたくなりました。第二話も『よくもまぁこれだけの内容を一時間に納めたな』というような。 舞台は駿府。家光の弟が有能であったため、『弟を将軍』にという動きがあったんです。ところが柳生宗矩他重臣はそれを良しとしなかった。なぜか。宗矩が家光の側近であったため、その地位の保全あるいは向上という野心であったという史家もいます。もちろん人間ですからそれもあったでしょう。私もここ数年前まではそう思ってました。でも色々な小説を読んでみたり、実際に史跡に行ってみたりして『宗矩は、世の中がまた乱れるのを怖れたんじゃないかな?』と思いました。もし言われるように宗矩が権勢家だったとすれば、彼は後年に至っても、それほど所領を得ていないことが諒解できません。『大目付として権力を握った』といってもせいぜい取り締まり役のことであって、一番は柳生真陰流が『御流儀』とされた名誉くらいのことだったと思います。つまり精神的な名誉を大事にすると言うことは、物的な満足ではなく、精神的な欲求が強かったんだと思うのです。 話が逸れてしまいましたが、いずれにせよ乱を望んでいなかった宗矩が考えたのは『正統性』とか『原則の遵守』だと思うのです。『将軍家はその能力如何にかかわらず、嫡子が継ぐこと』ということを原則にしなければ、ある血縁範囲内ではあっても能力主義ということになり、それぞれの傍流が当然家臣団を抱えているわけで、自分の主君こそ将軍にふさわしい!と思う家臣が争いあうことになってしまいます。そうなったとき、結局困るのは農民など一般の生活をしている人間です。戦もそうですが、それに動員されてその後食うに困った足軽は、野盗化してしまいます。このシリーズも、そういう宗矩の描写になっています。宗矩は作中でも『権謀家』として扱われますが、本人は国の平和のために悪名を甘受している(という風に描かれていると言うだけで、もちろん事実は知りません:笑)。 んでその治世を目指す『権謀家』の宗矩は、謀略によって家光の異母兄弟を自刃に追いやります。ここに『治世のためには多少の犠牲はいとわない』宗矩と、『すぐれた人が世を治めるべきだ』と考えて従ってきた駿府の残された家臣団との対立が生まれます。そこに政治とはなんなのかをまだ理解できない子供だが、剣の腕前だけは天下一の十兵衛(宗矩を権謀家と見、剣術を出世の道具にしているとして宗矩に反発)がかりだされる。最近の宮崎アニメで言えば宗矩がサリマン先生、家臣団が荒地の魔女、十兵衛がハウルです。 みんながそれぞれの『正しさ』を持っているし、みんなが『民のため』『世のため』と思っている。それなのに出来ることといえば殺し合いでしかない。なんというか生きていくということの哀しさ・多面性を、一個の剣客小説(ドラマ)として見事に纏め上げている。 人間はみんなそれぞれでは『正しい』生き物です。よそから見たらおかしく見える人でも、その人の中では合理的に生きています。私ももちろんそのうち一人です。そういう多面的な人生観・世界観を思うとき、私はいつも中国の思想が頭をよぎります。 中国は文化の先進国でしたから、たくさんの思想が生まれていました。それぞれの中で論じていることは一貫していますし論理的ですが、各思想は際立って対立しています。孔孟は徳治主義を掲げ、韓非子の法治主義を訴え、管子は経済至上主義を行い、荘子はそもそも人間はその存在自体客観的な意味はないのだと嘯く。一方で墨子は一人の庶民としての立場からの世界観のありようを叫ぶ。どれも納得のいく議論です。 ※孔子⇒人間は本来優しい生き物であり、自分が良かれと思うことしか出来ないし、行動を強制することは上手くいかない。懲罰より薫陶していくべきものだ。 ※韓非子⇒人間は利益に傾くものだ。しかもその利益は万人で異なる。為政者は自分の持っていきたいところに恩賞を、やって欲しくないところに懲罰を。徳などの主観的な判断に頼るべきでない。 ※管子⇒人間はまず自身の生活が安定していなければ、そもそも思想とか教育などが発展する余地はない。まずは富ませることだ。 ※荘子⇒生存それ自体が客観的有意であるかどうかすらわからない。その上万人で異なる考えがあるのにそれを一つの考えでまとめようとすること自体が合理的でないばかりか、自己や他人まで傷をつけてしまう。自然に身を任せた方が良い。 ※墨子⇒一般に人殺しは悪い行いである。しかし戦争ともなればたくさんの人を殺した者ほど賞賛される。政治とは、人間とは、一体何者だ? 要するにみんながそれぞれの正しさを持っているって事だと思います。しかもそれは各人の中でさえ、各瞬間においても一様ではない。それが人間の微妙なところだと思います。そうかといってころころと考えを変える人は信頼されませんし、一徹すぎる人は頑固者として敬遠されます。その他西洋や諸外国・日本の哲人も何とか世を体系づけようと挑戦してきました。 無敵と言われた孫子や近代用兵の祖クラウゼヴィッツなどは同じくこう言っています。 『戦場においては全てを知ることは出来ないから、限られた情報の下に、限られた資源で作戦を立てる。しかもそれは人間というもっとも不特定な因子が運用する。なにもかもがわからないものだらけだが、その中で最善と思われるものを信じて全力を傾けるしかない』と。 有限の紙片に無限の表象を表すことはそもそも論理的に矛盾しています。人間はクワガタに新種を付け加えるがごとく、新しいもの(世界)を見つけるたびに新たに名前をつけ、新しい説明を作っていくしかありません。体系づけとは現段階における既知あるいはある程度の確度で信頼できる予測の範囲内での全体像の構築であって、世の中の全てを網羅したものではありません。もちろんだからといって『体系づくり』が無用であるとか、無意味であるとも思いません。既知の世界の認識にははかり知れない威力を発揮しますし、未知の領域に立ち入るときにはたいまつにもなるものです。 もしあなたの周りにどうも『気に入らない人』がいたら考えてあげてみて下さい。私も限られた中の情報の判断だが、彼もまた限られた情報で判断しているのではないか? と。 私は聴きたい。きっとお互いが解り合える部分があると信じているから。 |
| 2006/03/10/金 |
| パン! トン! 私の昼の音は大体こうです。私が奇声を上げるということでは当然なくて、外からこういう音が聞こえてくる。 向かいの家のおそらく今月に卒業したであろう中学生の男の子。変な擬音は、彼がテニスの壁打ちをやっている音です。 本当にすごいなぁって思います。毎日毎日ですもん。部活でやっていることはまず間違いない状況ですけど、普通は学校の部活の時間にやって、家では遊びってなとこじゃないんでしょうか。もちろん一部熱心に打ち込んでる人がいると思うんです。そしてそれに彼も含まれる。 私は普段机に向かって戦闘しているわけですけど、彼には励まされます。俺も頑張ろうって思う。どんなノリの良いBGMにも勝る興奮剤です。今日も朝から勉強してましたけど、彼もずーーーっと壁打ちしてる。雨ですよ、今日は。 風邪をひかなければ良いがなぁ。。。 |
| 2006/03/15/水 |
| 『起きてる?』ってメールもらいました。携帯に。 私の職場で働いていた方で、今はおうちの事情で休職を余儀なくされています。『起きてるよ』と返信すると、ほどなく電話がかかってきました。 1ヶ月くらい前に、私が『元気にしてますか?』と打ったメールに対するお返事でした。前述の休職の理由であるお父さんが亡くなったり、ご主人が入院したりと大変な事件が続いていて元気ではなかったし、そうかといって社交辞令のように『元気だ』と返信するのもイヤだったから、そのときは返事をしなかったんだ、と。今も大変な状況には変わりがないみたいでした。 生きてくってことは、ややもすると、というか基本的に『消耗すること』だと私は思っています。疲れてこないわけがない。それは楽しいことをしているときでさえそうです。飽きてくる、と表現しても良いかも知れません。いくらカラオケが好きでフリータイムだからといって、10時から18時まで同じメンツで歌いまくっていたら、そりゃ飽きたり疲れないと言えばウソでしょう。人数や年齢にもよりますけど。しかしこれがまた人間の面白いとこで、『新しい消耗源』を見つけると、今までの疲れとかマンネリから切り離される。同じ『消耗すること』であるには違いないんですが。 だから私は疲れてきたときにはいったんその作業を中断して片づけをしてみるとか、もっと大きなスパンで変化がないなと思ったら、携帯のメモリーみて、全然連絡してなかった人に連絡してみるとか『新鮮力』を手に入れる工夫をするようにしてます。 でも仕事とか、どうしようもなく変更できないものもありますよね。飽きたからすぐ違う職に就こうとか、もうこの連れ合いはマンネリだから新しい恋人探すか、とかなかなか無理なことだと思うしあんまり感心できないなと思うんです。じゃあどうするか。私も悩んだんですが、最近の答えは『感謝すること』かなぁと。『よかった探し』ならぬ、『ありがとう探し』。 信じることを頑張っている人は、どうしても視野が狭くなってきます。これは仕方がないことです。同じ時間の中で一つのことに打ち込んでいるんですから、他がお留守になる。基本的に馬力が上がれば燃費が悪くなるように、頑張ることと余裕を持つことは相反する性質を、全部ではありませんが、多分に含むものです。真剣に打ち込めば打ち込むほど、『これはこうだ!』とか『これしかない!』とか思うようになり、それはそれで確信であり物事をなすときには大事なものですが、心の柔軟性が失われることもまた事実です。馬力は上がるが燃費は悪くなる。そしてそういう硬直した考えと言うものは概して良い結果を生みません。通りすがりの素人にしてやられたりする。ゆとりがないからです。 そういうときには感謝してみることをおすすめしたいです。『ああ、ありがたい!』と思うこと。出来れば自分の専門とは違うジャンルがより一層鮮力になります。 実は私も丁度昨日仕事で失敗して凹んでました。しかもそれが自分の『硬直性』に由来すると自分で思ったので、余計に。良かれと思って高慢になっていたように思います。自分ほど一所懸命なのはない、と。自分に自信をもつことと、前記のことは決定的に違います。自分に自信を持つことは絶対的なことであるのに対し、『自分ほど〜』と思うことは必然的に相対的、相手との比較の話だからです。そして思い上がれば失敗は目に見えています。 電話ありがとう! おかげで新しい鮮闘力を手に入れました↑↑ |
| 2006/03/25/土 |
| ボーリング行ってきました。この春やめるバイト君の送別会です。 私は今までボーリングというのは『対戦したり戦略などのないスポーツだ』と感じてました。プロや極めていらっしゃる方々は別として、特にこういう機会でしか投げない私としては。まず直接に対戦相手にかけひくことができない。相手のアプローチの際に足をかけてこかす、とか、相手の的であるピンの配置を換えるとかそういったことは出来ないですから。 でも最近違うなぁってわかりました。ものっすごい戦略的というか精神的なスポーツですね。人生に近い。というのは、勝敗は倒せたピンの数で決まるわけなんですが、相手を上回らなければならないのに、その相手に対し出来ることはなく、ただひたすら自分のベストを追求していかなくてはならないからです。10ピン1本だけが残った第2投。当てれば当然スペア。取らなくては負けると言うシーン。相手は何もしてきてはいませんが、確かに相手は存在し、自分のスタイルに影響を及ぼしてきています。簡単に言えば『プレッシャー』ってやつですね。 相手に出来ることのほか、自分に出来ることもおそらく限られてますし、限るべきなんだと思います。ボーリングとはスウィートスポットにいかに正確にボールを持っていけるかということが勝利への最大の鍵ですから、自分なりの立ち位置・投球フォーム・パワーコントロールなどを淡々とこなせていければおそらく勝利できます。しかし問題なのはこの『淡々と』というところ。コレが対戦相手がいたり、周囲が気になったりすると、もうグズグズしてしまう。相手と、そして自分自身とのメンタルなやり取り。これこそがボーリングの醍醐味なんじゃないでしょうか。 前述の通り、私はボーリングは練習などしません。それゆえいわゆる直球しか投げられません。カーブなどに比べて効率の悪い弾道(?)を描きますし、ピンの倒れる方向も直線的となり、ストライクの率は高くしようがありません。しかし『この部分に当てれば…』という部分、私のスタイルにとってのスウィートスポットは間違いなくあります。周囲のプレッシャーを感じながら、そこにめがけて集中する。相手がダブルやターキーを決めていたとしても、自分自身に出来ることは、自分自身の最善を尽くすと言うことでしかない。こんな当たり前で、かつ難しいことを、あの短い時間に堪能できます。自分より何かが上手くできる人や、ある異性に近い人物がいたって、自分がやるべきことは自分の最善を尽くすと言うことであって、不幸をのろってみたり、相手に罵声を浴びせることではありません。 私も歳をとりましたから、弱いと言ってもさすがに免疫のような精神力はついてきました。悪く言えば『負けることに慣れた』部分があります。多少の失敗では動揺しません。したとしてそれがそれほど長くは続かないことを『知っています』。悪い状況が長く続かないことを知っている。これを反対に書き下すと『希望をもっている』ということになります。私は最初ストライクを狙ってボールを持つ。取れれば良し、取れなければスペアを狙う。それがスプリットなどでかなわない場合、次につながるように1本でも多く、または難しいコースを狙って投げる。それでも外れた場合、気持ちを切り替える。それが上手くいかない場合、笑う(ネタにする)。人間笑っていれば何とかなりますし、笑ってどうしようもないことは、もはやどうしようもありません(笑 苦しいときに出来る抵抗の主力は笑うこと。もしそれも無理なら新たな戦力に期待しましょう。どんなに建設的な改善案でも、実行者の精神的な状況が前を引きずっていては上手くいきません。大切なのは作戦ではなく心です。 新鋭な戦力が手に入る見込みがない場合。自分で産み出すしかありません。 つまり寝る。 |