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date:03/07/23
Text by
CIAN

24アワーズ・パーティー・ピープル考 ※映画内容の詳細なレポートも含んでいます(管理人註)


 まだ、この映画の製作の噂すら知らなかった頃、四六時中ヒマを見つけてはイギリスに行く私の悪友が、ある1冊の本を土産にくれた。いつも買ってくれる土産はお菓子とかなのに、今回は「何で本なの?」と聞いたら「題名を見れば分かるよ」と一言。なるほど、その黄色い本に「FROM JOY DIVISION TO NEW ORDER」と書いてあった。

 私にとってジョイ・ディヴィジョンのボーカルであるイアン・カーティスという人物は特別な存在。その彼の存在を知ったときには、もう既にこの世にはいなかったけど、彼らの曲が残っていたおかげで、その存在を知ることも出来たし楽曲の素晴らしさに触れることが今でも出来る。

 でも彼らの新曲は、もう聞くことは出来ない。それは、もうそのバンド「ジョイ・ディヴィジョン」は残った3人で「ニュー・オーダー」というバンドに生まれ変わったから。そして彼らは彼らで皮肉なことに私がジョイ・ディヴィジョンを知る前に私を虜にしていたのである。まいった、まいった(苦笑)。まるで好きになった人が、実は血の繋がった兄弟だったみたいな話である。まあ、それじゃ陳腐な少女マンガかドラマだけど。

 しかし、このすべてが事実であって、さらにそのもっと知られざる「当事者であるがために知っていたこと」をまとめたのが、この映画のストーリーの柱となる。その話の軸になるのは先ほど出た友人の土産が原作本で副題が「ザ・ファクトリー・ストーリー」となっている。要は、マンチェスターというイギリスのイングランド地方都市の郊外に作ったレーベル「ファクトリー」とUKロックの聖地の1つへと仕掛けたアンソニー(トニー)・ウイルソンという人物が語り部になる訳だ。

 彼がローカルTV局のジャーナリストとして知性溢れた(と信じ込んでいる)自分を発揮できないうっぷんを晴らしに、パンクの祖であるセックス・ピストルズのライブに行ったことで「音楽で最先端カルチャーを生み出す」ことを閃く。

 さらには、そのピストルズのライブに居合わせた名プロデューサーとなるマーティン・ハネットや締め切りは守れないが見事なアートワークを大量に作るピーター・サヴィルらと出会い、予想以上のことが起こることになる。しかし当の仕掛けたトニーご本人は結構行き当たりばったりで事を進める。映画で端から見ているこっちが、もう運が良いというか、理想が空回りしているのに、まあ、都合の良いこと!と思ってしまうほどだ。でもこれもほとんど事実というから呆れる。

 そしてトニーはファクトリー設立のきっかけとなる人物と出会う。それがイアン・カーティスとの出会いだ。私が昔、某雑誌でトニーとイアンが初対面の際、バンド演奏直後のイアンがトニーに詰め寄って「この俺達をデビューさせないと後悔するぞ!」と凄んだというのを読んだ事があるが、ちょっとソレと近い感じで出会うように描いてあった。さらに移動の車の中でジョイ・ディヴィジョンの前のバンド名「ワルシャワ」をそのまま使うかどうするかを討議している時に誰かが「(デビット・)ボウイっぽい名前だなあ」と言う(ワルシャワというバンド名の由来はデビッド・ボウイの曲)と、イアンが「彼(ボウイ)は25歳で死ぬと言ったのに、まだ生きている。」とぼやくシーンが出る。そう言った彼自身がその後亡くなったのは24歳。何とも言えない。

 その後精力的にこなした多くのライブで好評判を得て、ハネットの異様な状況で取り組むレコーディングで化学反応を起こしたジョイ・ディヴィジョンは人気を高めた。その結果、イギリス国内を出てアメリカでライブツアーという話が持ち上がる。自分たちの音楽の凄さを信じて、さらには皆に、その良さを理解されるようになったのだから、うれしかったのだろうと想像出来る。が、あまりにも音楽に直角に向かい合ってしまったイアンだけは、個人的に問題を多くかかえていたようだ。映画は、その姿も克明に描いている。ライブ中に起こす癲癇(てんかん)、そしていつも結婚指輪が指に光っているのに、いっこうに姿が出てこないイアンの妻。

 映画はイアンの最後の日もドキュメントのように追っていく。トニーの事務所に何かを相談したくて訪れるイアン。トニーが留守でトニーの奥さんが丁寧に、しかし親しく応対し挨拶変わりに奥さんが差し出したハッパを一口吸う姿に日常として既に「ドラッグ」が、トニーの王国であったレーベル「ファクトリー」になくてはならないものだったという象徴的なシーンだ。そしてその後のイアンの最後の行動を知る私たちには辛いシーンでもある。とぼとぼと、マンチェスターはマッカレスフィールドにある自宅に帰った彼は、やかんに水を入れて(多分)お茶をしながらTVを見て、日曜日の午後のひとときを静かに過ごしている。

 その次の瞬間、自宅のTVの上の方にぶら下がっている彼の足。そう自ら首を吊った、その場面もこの映画は描いているのだ。思わず叫びそうになってしまうのをぐっとこらえて次の場面を凝視する私。後はトニーがTVの仕事現場で訃報を聞いて慌てるとか葬儀の模様が映し出されるが、何せ悪いけど所詮再現映像なのだな、と急に興ざめてしまう。葬儀にすら姿の見えないイアンの妻(というか最後まで一切出てこない。けどこの映画のプレミアには招待されたらしい。はあ・・・)、その替わりに来たというその母は泣き崩れている。でも何かウソっぽい。

 はあ、やはりうまく表現出来てはいるけど本人じゃないし・・・と油断していたら、見覚えのある映像に急に切り替わった。それはイアンの死後に写真家アントン・コービンが彼を追悼する形で制作したジョイ・ディヴィジョン最後のシングル「アトモスフィア」のプロモーション映像。もういないバンド、そしてもういないボーカルを葬儀のマントを来た人々が海岸であの世に送る。砂浜を歩くのでつまずいたりもする。その姿は悲しくてまっすぐ歩けないかのようだ。そしてその葬列の中にイアンが写真で登場するのだ。まさしくその姿は生前ライブで歌っている彼本人! その曲「アトモスフィア」でイアンは、こう歌っていた。
「行かないで、決して行かないでほしい」
 でも、そう歌った当事者は余程辛かったのだろう、1人で旅立ってしまったのだ。私は、こらえていたものが一気に流れ出てしまった。当時イアンを初めて知った時から悲しい出会いだということは分かっていて、たびたび思い返しては1人涙していたが、また、その辛い事実を確認することになった。でもそれは逆にいえば、それだけ彼が私にとって大切なものを与えてくれたかということの確認でもあるのだ。

 その後、映画はクスリにまみれたマンチェスターへと転がっていき、ファクトリーが経営したライブハウス「ハッシェンダ」はUKロックの聖地となり一大ムーブメントとなった。そのムーブメント「マッド・チェスター」の番長でファクトリーにトドめを刺した悪名高きハッピー・マンディーズがアシッドまみれで登場。

 この頃のマンチェスター・ブームを私はリアルタイムで経験出来ていて、日本でも評判が良かったこのブームは多くのマンチェスター・バンドの来日実現にも繋がってライブを体験できた。しかし彼らはホントにアホのようにクスリにまみれていて、某バンドはクスリ探すのにファンの娘に声を掛けまくっていたのは困ったものだった。さらにそれが彼らの音楽の源になっているのが非常に危なっかしかった。

 思ったとおり・・・というか事実をあらかじめ知っているから、こんなことが言えるのだろうが、やはり結局ファクトリーもハシェンダも全部跡形もなくなる。丼勘定のトニーは自分の経営能力のなさを棚に上げて「アートに無償の愛を捧げた」ようなことをお題目のように唱え続けるが、記憶には残っただけになった。良いことと悪いことと両方、目いっぱい。クスリのやりすぎも音楽(アート)の没入のしすぎも身を滅ぼすということなのだろうか? 金に糸目をつけずにクスリを仕入れるシーンがあったが、それを見ていて自分のレーベルに極限まで利益をつぎ込んで無一文に なったのが透けて見えたのには笑った。

 だが、最後に爆弾が潜んでいた。いやにシニカルに終わるなあ、とぼんやりして いたら、ジョイ・ディヴィジョンの「ラブ・ティアー・アス・アパート」がかかる。それには、ちゃんと歌詞の日本語訳がご丁寧に字幕に出る。
「愛は僕らを、またしても引き裂いてしまう」

 その曲を追いかけるようにして続いて流れたのがニューオーダーの新曲「ヒア・トウ・ステイ」。この時点で私はもう鳴咽が止まらなくなってしまった。だってこの曲は今、ようやく彼らがイアンに対して贈った「天国にいる彼への返事」そのものなのだから。

 死んだ直後に出した「ブルーマンデー」では急なイアンの死に直面したせいか、
「そこ(天国)はどんな所だい?どんな気分なんだよ?」
 と歌詞に皮肉が入っていた。しかし何十年もかかって、ようやく出された返答にイアンも笑って「ごめん」のひと ことぐらいは言っていると思う。あらためて今年も5月18日の彼の命日で心から祈りたい。

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